ひよこの歴史
ひよこ保育園は1968年(昭和43年)に市内小古曽の農家を間借りして「ひよこ共同乳児保育所」としてスタートしました。
当時は女性が働くことに偏見もあり、まだまだ小さい子を保育所に預けることに世間の理解も低かったようです。ひよこ共同保育所の開所は今となっては当たり前ですが、当時の四日市市の乳児保育の先駆けとなりました。
ひよこ共同乳児保育所開所当時の文集より
- 健康な子に
- よく見て良く聞く子に
- よく考える子に
- 力いっぱい表現する子に
- 友達の中にいる事を喜び、友達を大切にする子に
- 働くことを喜ぶ子に
この目標を基に保母だけではなく父母も一緒に考え話し合い両者で保育をしていかなければなりません。一番最初に掲げた健康な子は一番重要な目標で、その健康をどう守り、維持していくのか?子どもたちは抵抗力も弱く、四日市公害認定患者数の割合から見ても子どもと老人は増加をたどっている。我々大人が子どもに代わって今よりも健康が破壊されないように、青い空、広々とした遊び場が子どもたちの掌に与えられるように頑張らなくてはなりません。
また、私たちのめざす子どもは、すべての子が等しく教育され、みんなが助け合い、成長していく教育を!そして自分の目で確かめ、いっぱい表現でき、自分のことだけでなく、友達のことも考えられる子どもに育って欲しいのです。
この保育目標に向かって保母・父母が常にその方向に進もうとする姿勢が大切です。また保育の実践だけではなく社会との関係も大きく影響しています。その社会的要因を変革していくのも私たちの役割ではないでしょうか。
児童憲章 (昭和26年5月5日 宣言)
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境のなかで育てられる。
すべての児童は、心身ともに、健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
小古曽の民家から西町へ、そして日永園舎の建設、法人認可へ
1970年(昭和45年)二宮病院のご厚意で看護師宿舎の予定地を借りることができ、西町へ移転。当時、職員や保護者で公立保育所設置にむけて請願署名を集め、翌年市内公立11園で1歳児保育が実現されました。
1977年(昭和52年)日永に移転、この頃は過酷な職場環境で職業病になる保育士が多く、公立保育所へ移る園児も多く運営ができなくなったり、ひよこがもっとも苦しい時期でした。この危機を乗り越えようと、保育士や保護者が団結しひよこ保育園を守るためにみんなが奔走しました。この力が法人認可を取得し新しい建物をつくるための原動力となりました。みんなの願いがかなって1989年(平成元年)に「社会福祉法人ひよこ会」を立ち上げることができました。
新しい園舎から現在、未来へ
1997年(平成9年)東日野に今の園舎(鉄筋コンクリート造2階建)園舎が完成が完成。一時保育事業「たんぽぽ」子育て支援「わたぼうし」等、地域の方々の保育の要望に応えるべく様々な事業も本格的に始めました。2007年にはひよこ会第2園の「こっこ保育園」を開所させました。
ひよこ保育園やこっこ保育園は長い年月、地域の方々、保護者の皆さんたちに信頼されていましたが、保育に対す要望は高く、入園を希望する子どもの多くを泣く泣くお断りせざるを得ないことも少なくありません。その要望にさらに応えようと2017年4月開設に向け、第3園の設立を計画しています。これまで築き上げてきた「ひよこの保育」を受け継いで、ひよこに関わる皆さんと共に新しく育てあげていこうとしています。今後も皆様のご協力をお願いします。